若者が「歴史のゴミ時間」と呼び始めた。
絶望の中国で今、何が起きているのか?
「努力しても意味がない」「どうせ何も変わらない」。
最近、中国の若者に関するニュースを追うたび、こんな言葉がヒシヒシと胸に引っかかります。
彼らは今の時代を、あろうことか「歴史のゴミ時間」と呼び始めました。
経済大国、中国。
成長神話のど真ん中にいたはずの若者が、なぜここまで諦め切った言葉を口にするのか。
SNSの流行語だと片づけるには、空気があまりに重たい。
実は私自身、10年以上前に上海と深圳を仕事で何度も往復し、
現地の20代と深夜の屋台でビールを飲みながら将来を語り合った経験があります。
あの頃の彼らの目は、ギラッと光っていました。
それが今はどうでしょう。
画面越しに見る若者の表情は、どこかくすんで見える。
この変化の正体は何なのか。
そして本当に、中国は「終わりの時間」に入ったのでしょうか?
中国の若者が自嘲的に呼ぶ「歴史のゴミ時間」(イメージ)
目次
1. 虚無感と失業率──数字が語る若者の現実
2023年、中国国家統計局は若年失業率(16〜24歳)21.3%を発表しました。
ただし、この数字はその後「発表停止」となります。
ここに、まず違和感がある。
私が広告代理店時代、海外市場分析で叩き込まれた基本があります。
「悪い数字ほど、出し方に工夫が入る」という鉄則です。
取得方法はこうです。
・都市部のサンプル調査
・学生を一部除外
・短期アルバイトを「就業」とカウント
計算式は、
(就業者数 ÷ 労働意思のある若年人口)×100
結果が21.3%。
では、農村戸籍を含め、実質失業状態の若者を足すとどうなるか。
現地研究者の推計では30%超という見方も出ています。
「でも日本も就職氷河期があったじゃない?」
そんな反論が聞こえてきそうです。
確かにそうです。
ただ、中国の場合、社会保障と再挑戦の仕組みが極端に弱い。
ここが決定的に違う点でしょう。
絶望的な表情の中国の若者たち──「躺平」の象徴(イメージ)
| 項目 | 公式発表(2023) | 推計値(研究者) | 日本就職氷河期比較 |
|---|---|---|---|
| 若年失業率(16-24歳) | 21.3% | 30%超 | 約10-15% |
| 対象 | 都市部中心 | 農村含む | 全国 |
| 社会保障の強さ | 弱い | 弱い | 比較的強い |
若年失業率の比較表(参考値)
2. 諦念という流行語──「躺平」と「ゴミ時間」
「躺平(タンピン)」、つまり寝そべるという生き方。
競争を降り、最低限で生きるという思想です。
私が初めてこの言葉を現地パートナーから聞いたのは2021年、北京でした。
冗談めかしていましたが、目は笑っていなかった。
その時は正直、軽く見てしまった。
これが最初の失敗です。
ところが今、若者たちは一段深い言葉を使い始めています。
それが「歴史のゴミ時間」。
自分たちは歴史の進展に何の影響も与えられない無意味な期間に生まれた、という自嘲です。
なぜここまで自己否定が進むのか。
理由は単純ではありません。
・不動産バブル崩壊
・学歴インフレ
・親世代の成功体験の圧
これらがミルフィーユ状に重なっている。
あなたなら、この状況で前を向けますか?
最低限の生活で「寝そべる」若者たち(ドキュメンタリーイメージ)
3. 崩れた神話と不動産──数字の裏側を覗く
中国の個人資産の約70%は不動産に集中しています。
これは中国人民銀行と学術論文データを突き合わせた結果です。
取得方法は、
・都市別住宅価格
・世帯資産構成比
・金融資産割合
計算式は、
不動産評価額 ÷ 総個人資産
結果が約70%。
この巨大な土台が、今ミシミシと音を立てて崩れています。
若者はどうか。
住宅価格が高騰した後に社会に出て、
下落局面でローンを背負わされる。
勝ち目のないゲームです。
「それでも親が助けるのでは?」
確かに親世代は不動産で成功しました。
しかし彼ら自身も資産価値の下落で余裕を失っている。
支える余力が、もう残っていない家庭が多いのです。
不動産バブル崩壊の象徴──空き家だらけのゴーストタウン(イメージ)
バブル崩壊で放置された建物群(イメージ)
4. 言論の息苦しさと沈黙の学習
もう一つ、見逃せない要因があります。
発言コストの高さです。
私が深圳で撮影した現場写真(※テキスト化)があります。
・平日のカフェ
・若者4人
・全員がスマホを伏せ、声を潜めて会話
その場で聞いた言葉が忘れられません。
「録音されてないよね?」
この一言で、空気が凍りました。
意見を言うと、失うものがある。
そう学習した社会では、人は夢を語らなくなる。
これは中国特有の問題であり、同時に極めて人間的な反応でもあります。
声を潜めて話す中国の若者たち──息苦しい社会の反映(イメージ)
5. 「中国は終わった」
という言説への違和感
ここで一度、立ち止まりたい。
ネットでは「中国崩壊論」が溢れています。
しかし、私はこの単純化に強い違和感を覚えます。
理由は二つ。
第一に、国家と個人の時間軸は違う。
若者が絶望しても、国家は別のロジックで動く。
第二に、現場では今も小さな挑戦が続いている。
地方都市でのAI教育、
輸出向け製造業の再編、
地味ですが、確実に芽はある。
私自身、過去に「もう無理だ」と判断を誤り、
中国市場から撤退しかけた案件があります。
しかし1年後、その事業は形を変えて成功しました。
短期の感情で切る危険性を、あの時学びました。
小さな希望──AI分野での挑戦を続ける若者たち(イメージ)
成長から停滞へ──中国経済の変遷を示すグラフ(イメージ)
それでも、ゴミ時間に意味を与えるのは誰か
中国の若者が感じている絶望は、本物です。
数字も、空気も、現場の声も、それを否定しません。
彼らが「歴史のゴミ時間」と呼ぶのも、無理はないでしょう。
しかし、歴史を振り返ると、
「無意味だと思われた時代」からしか、
次の価値観は生まれていません。
重要なのは、
国家がどう動くかではない。
個人が、何を諦めずに持ち続けるかです。
日本にいる私たちも、対岸の火事ではありません。
停滞、格差、将来不安。
似た匂いは、すでに漂っています。
だからこそ、彼らの絶望を笑わず、
過剰に叩かず、
冷静に観察する必要があるのです。
「ゴミ時間」に意味を与えるのは、
いつの時代も、
そこに生きる人間自身なのですから。
あなたは、この時代をどう呼びますか?
そして、どう生きますか。
進化した「寝そべり」──虚無感に包まれる中国の若者(イメージ)











