ジェイムス・ギャングがロック史に残した「ヤバすぎる功績」:
ジョー・ウォルシュがイーグルスへ飛び立つ前に魅せた、超絶トリオ・サウンドの真実
「ジョー・ウォルシュといえば、あの『ホテル・カリフォルニア』を成功させたイーグルス(Eagles)の天才ギタリストでしょ?」——多くのロックファンがそう思っているはずです。確かにそれは事実ではありますが、彼がそのキャリアの礎を築いたアメリカン・ハードロック・トリオ、ジェイムス・ギャング(James Gang)の功績を知らないままでは、あまりにも勿体ない話でしょう。彼らの音源は単なる通過点なんかじゃありません。あのクリーム(Cream)やグランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)らと並べられて賞された熱量と、一癖も二癖もある音楽性の「ヤバさ」こそが、ウォルシュの多彩な才能を育んだ土壌なのです。42歳の私が、高校時代に初めて手に入れた彼らのライブ盤を、ベースラインが潰れるまでギシギシ擦り切れるほど聴いた、あの衝撃と教訓を今こそ共有させてください。ジャンル分けが大好きなここ日本では、彼らの「カントリーやルーツロック等を巧みに取り入れた」音楽性はなかなか立場が難しかった感がありますが、彼らがロック史に残した足跡はあまりにも偉大でしょう。
メニュー
1. 魂を揺さぶる「轟音」の原点:なぜ私たちは彼らを忘れてはいけないのか

(上記画像:1970年代初頭の黄金トリオ。ウォルシュの鼻にかかった笑顔とリズム隊の土臭い佇まいが「ヤバさ」の象徴)
2. 【現場の証言】「Bの線」と呼ばれた男たちの情熱:ジョー・ウォルシュがイーグルスへ持っていった「魂の設計図」の全貌
✨ プロフィール:黄金のトリオと激動のギタリスト列伝
ジェイムス・ギャングは1966年にオハイオ州クリーブランドで結成されました。このバンドの歴史は、リズム隊のジム・フォックスとデイル・ピーターズが、次々と天才ギタリストを迎えては送り出していく、激動の歴史そのものだったと言えます。
バンドは初期にグレン・シュワルツ(ギター)が在籍していましたが、1968年初頭にジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)が参加します。ウォルシュは当初、ビル・ジェリックと共にツインギター体制を敷きますが、1968年6月9日、デトロイトのグランデ・ボールルームでクリームのオープニングを務めた際、もう一人のギタリスト(ロニー・シルバーマン)が突然参加しないことになり、急遽トリオとして演奏しました。彼らはこのスリーピースでのサウンドを気に入り、そのままトリオとして活動を続けることを決めます。
メンバー構成と功績
| メンバー名 | 担当楽器 | 在籍期間 (主要期) | 功績と特記事項 |
|---|---|---|---|
| ジョー・ウォルシュ (Joe Walsh) | G, Vo, Key | 1968年〜1971年 | イーグルス(Eagles)加入前に名盤全てを制作。鼻にかかった声と卓越したギター演奏が特徴。 |
| ジム・フォックス (Jim Fox) | Ds, Per, Key | 1966年結成〜1977年 | バンドの創設者。フロントマンが移り変わってもバンドを支え続けた唯一のメンバー。 |
| デイル・ピーターズ (Dale Peters) | B, G, Per | 1969年〜1977年 | 1969年にトム・クリスに代わり加入。ジム・フォックスと共にしぶとくバンドを存続させたリズム隊。 |
| トミー・ボーリン (Tommy Bolin) | ギター | 1973年〜1974年 | ウォルシュ、ドミニク・トロイアーノに次ぐ3代目。後にディープ・パープル(Deep Purple)に参加。 |
ウォルシュが脱退(1971年12月)した後は、ボーカルのロイ・ケナーとギタリストのドミニク・トロイアーノが加入し音楽性を変化させますが、その後トロイアーノもゲス・フーへ移籍。代わりにトミー・ボーリンが参加して再びハードロック路線を追及します。結果的に、リズム・セクションの2人(フォックスとピーターズ)を除いたフロントマンが次々に移り変わり、「同じバンドとして考えるのも難しくなっちゃいますね」という状況になったのです。
💥 震える低音:アメリカン・ハードロックの原点「Funk #49」の衝撃

ジェイムス・ギャングが1970年のセカンドアルバム『James Gang Rides Again』で放った「Funk #49」は、彼らが単なるトリオ・ハードロックの模倣犯ではないことを証明しました。
私は初めてこの曲を聴いたとき、「なんて無骨なリズムなんだ!」と唸りました。デイル・ピーターズ(ベース)とジム・フォックス(ドラム)によるリズム隊は、ブリティッシュ・ロックのような洗練されたグルーヴというより、土臭く、引きずるようなアメリカ独自の重みを持っていたのです。その上にジョー・ウォルシュの鼻にかかった声が乗る。この男臭いサウンドは、今なおクラシックロックやAORのラジオ局で人気を博しています。
| 楽曲名 | Funk #49 |
|---|---|
| 発表年 | 1970年 |
| 収録アルバム | James Gang Rides Again |
| チャート順位 | Billboard Hot 100:59位 |
| 功績 | アルバムはゴールドディスクを獲得。ザ・フー(The Who)とのツアーのきっかけとなった。 |
ウォルシュの演奏力はもちろん最高ですが、彼はこの曲でカントリーやルーツロックの要素を巧みにハードロックに混ぜ込みました。この間口の広さこそ、彼の後のキャリア(ソロ、そしてイーグルス)の伏線になっています。皆さん、もしこの曲の映像を見たことがなければ、ぜひ見てみましょう。「ええーおっちゃんやぁ~」と笑えるほど、若々しいウォルシュのダイナミズム溢れるパフォーマンスに心が震えるはずですよ。
💔 天才がバンドを捨てた理由:「Walk Away」に隠された葛藤と脱退

ジェイムス・ギャングの名曲であり、ウォルシュ時代の代表曲の頂点に立つのが1971年発表の「Walk Away」です。しかし、この曲の成功は、バンド解体へのカウントダウンでもあったのです。
「Walk Away」は1971年のアルバム『Thirds』に収録されました。シングルとしてBillboard Hot 100で51位、カナダで31位を記録しました。このヒットは、アルバム『Thirds』をゴールドディスクに押し上げ、バンドの名声は確実なものとなりました。ウォルシュはバンド脱退後も、ソロやイーグルスのライブでもこの曲を演奏しています。
| 楽曲名 | Walk Away |
|---|---|
| 発表年 | 1971年 |
| 収録アルバム | Thirds (スタジオ盤), James Gang Live in Concert (ライブ盤) |
| チャート順位 | Billboard Hot 100:51位 |
| 和訳 (非ソース情報) | 僕はただ立ち去るだけさ。引き返さない。君が気にしないなら、僕も気にしない。 |
とはいえ、この曲が成功すればするほど、ウォルシュの心は離れていきました。当時のウォルシュは、トリオという編成の中で、ほとんどの作曲と歌唱を行い、唯一のメロディ楽器として、バンドの全ての重圧を一人で担っていたのです。彼はプレッシャーに疲れて、1971年12月にバンドを去り、コロラドの山中へ移住してバーンストームを結成しました。
これは私の実体験にも通じます。私が40歳を過ぎて、プロジェクトの全ての責任(設計、実装、顧客対応)を一人で背負い込んだ時、体と心がブツンと音を立てて切れました。ウォルシュも同じです。バンドはウォルシュが去った後も続行しましたが、フォックスは「ジョー・ウォルシュに適当な代役を見つけるための探求になった」と語っています。
だからこそ、私は強く言いたいのです。スタジオ盤で満足してはいけません。この曲は「ライブ盤(James Gang Live in Concert)で聴くべし」です。ウォルシュ時代の集大成とも言える同71年のライブアルバムには、疲労困憊する直前の彼が、よりハードに、圧倒的迫力で演奏する姿が刻まれているのです。
🚨 大人の事情に泣いた名曲:「The Bomber」と著作権裁判沙汰の教訓

ロック史に残るジェイムス・ギャングの功績は、彼らの楽曲の「裏側」にも潜んでいます。それがセカンドアルバム『Rides Again』に収録された「The Bomber」にまつわる大人の事情です。
この曲は正式には「The Bombe ~Medley(a) “Closet Queen” (b) “Boléro” (c) “Cast Your Fate to the Wind” ~」というメドレー形式でした。ウォルシュを中心とするロックバージョンで、(b)にはフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1928年に書いたクラシックの有名曲「ボレロ」が無断で使用されていたのです。
| 楽曲名 | The Bomber (The Bombe Medley) |
|---|---|
| 発表年 | 1970年 |
| 収録アルバム | James Gang Rides Again |
| 和訳 (非ソース情報) | (メドレーのため省略。爆撃機をテーマとした激しい楽曲) |
問題は、ラヴェル(1937年死去)の財産を管理する団体が、この楽曲の無断使用を理由に米国ABCレコードとジェイムス・ギャングを相手取って裁判沙汰のクレームを入れてきたことです。
当時、ロックはまだ軽んじられていた時代であり、「アメリカのヒッピーごときに」といった、言いがかりめいた側面もあったかもしれません。言われた側は泣き寝入るしかなかったのでしょう。結果、ABCは即座に対処し、元の7分4秒あった曲から「ボレロ」の部分をゴッソリ削除し、5分39秒(約5分半)に編集しました。以降のプレス盤からはこの短縮版になったのです。
データ検証:幻の7分バージョンを探せ
米国での発表が1970年7月ですから、この7分バージョンはホントに僅かな間に消えた訳です。私が最初に買った東芝盤(1972年8月25日発売の再発盤)もこの短縮版でしたが、ライナーノーツには「ボレロ」の表記が残っていたのです。つまり、日本側には「大人の事情」が知らされていなかった可能性すらあります。
- 消失パート: 元の7分版では、3分28秒辺りでドラムがボレロのリズムパターンに変わり、ジョー・ウォルシュがエレキギターで優美なメロディを奏でる約1分半のパートが切られています。
この一件は、クリエイターがいかに「権利」という名の見えない縛りに翻弄されるかという、ロック史の痛い教訓として残っています。ちなみにラヴェルのボレロの著作権は2016年に消滅しており、今となっては編集バージョンが貴重と言えるかもしれませんね。
🎸 最高のトリオが生んだ黄金時代:シングル「Midnight Man」が示す多彩な才能

最後に紹介する「Midnight Man」は、「Walk Away」と共に1971年のアルバム『Thirds』からヒットした曲です。この曲は、ジェイムス・ギャングの音楽性が「ハードロック」という一言では括れないほど間口が広かったことを証明しています。
| 楽曲名 | Midnight Man |
|---|---|
| 発表年 | 1971年 |
| 収録アルバム | Thirds |
| チャート順位 | Billboard Hot 100:80位 |
| 和訳 (非ソース情報) | 深夜の男は通りを歩く。誰も彼を見ないが、彼はすべてを知っている。 |
ウォルシュ時代のジェイムス・ギャングの音楽性は、単なる「轟音ギター」だけではありません。彼らのアルバム、特に『Rides Again』のB面では、ウォルシュ自身がアコギ、オルガン、ピアノなどを操り、長閑なカントリーテイストからクラシカルなストリングス(アレンジはジャック・ニッチェ)までを披露しています。
この「Midnight Man」がヒットした事実こそ、彼らがトリオという制約の中で、ブルースロックの基盤を持ちながら、カントリーやルーツロックを巧みに取り入れようとした飽くなき探究心の証なのです。もしあなたがジェイムス・ギャングを単なる「うるさいバンド」だと思っていたなら、その多彩さに驚くことでしょう。
3. 熱狂よ、再び:私たちがジェイムス・ギャングの「音量11」を聴き続けるべき理由

ジェイムス・ギャングがロック史に残した功績は、ジョー・ウォルシュという規格外の才能を、トリオという極限の環境で磨き上げ、イーグルスという巨大なバンドへ送り出したことに尽きます。彼らの音楽は、日本での評価がイマイチだった過去があり、「Bの線」(あえてB級とは書きませんよ)のグループとして認識されがちですが、現地でのライブ熱狂度や音楽性の奥深さは、後のアメリカン・ロックの多様性の礎となりました。
ふと、鈴木克己さんのコメントを思い出します。「日本で人気がイマイチ、現地でも売れないバンドの方が、かえっていい曲を書いているのが多いんじゃないかと思います」。まさに、ジェイムス・ギャングはその「Bの線」にハマる、通好みの偉大なバンドだったのでしょう。
さて、2022年9月には、テイラー・ホーキンス追悼コンサートで、ウォルシュ、ピーターズ、フォックスのクラシック・ラインナップが再び集結しました。ウォルシュ自身、「あれが最後のギグではない」と語っています。77歳を迎えてなお、彼は「音量11」でプレイする喜びを再確認したのでしょう。
この「ゴー・フォー・イット」精神こそ、ジェイムス・ギャングの核心であり、私たちが学び続けるべき情熱です。彼らのパフォーマンスは今も動くロック図鑑として残っています。ぜひ、今日から短縮版ではない「The Bomber」のフルバージョンを探し出し、天才の原点が放つ輝きを再確認してほしいと強く願います。過去の失敗から学び、未来へ繋ぐ音楽の熱量は、決して尽きることはありませんからね!














