ジミ・ヘンドリックス
ギターの神を超えた伝説
「最高のギタリストって結局誰なの?」と、夜な夜なウィスキーを傾けながら検索窓を睨んだ経験はありませんか。偉大なプレイヤーは星の数ほどいますが、その誰もが畏敬の念を抱く存在。それがジミ・ヘンドリックスです。彼のギターはただの楽器じゃなかった。荒々しくも甘美に、唸り、叫び、火を噴く。30年前、初めて彼のライブ音源を聴いた時、ヘッドホンから流れ出るそのドシャッという衝撃的な音塊に、私は思わず椅子から転げ落ちてしまいました。この記事では、現場経験を持つ42歳の専門家として、たった4年間の活動で世界を変えたジミの真実と、彼が遺した4つの代表曲の「魂の炎」を伝えます。彼の革新の神髄を知れば、あなたの音楽観は永久に変わるでしょう。
メニュー
1. ジミ・ヘンドリックスの
メンバーと軌跡

彼の音楽を語る前に、その短い生涯と波乱に富んだルーツを振り返ってみましょう。彼は、エレキギターの持つポテンシャルを最大限に引き出し、その概念を永久に変えた人物であり、「神」と呼ばれる全てのギタリストにとってすら神であるギタリストと評されます。
ジミ・ヘンドリックス 略歴
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 出生名 | ジョニー・アレン・ヘンドリックス (Johnny Allen Hendrix) |
| 本名 | ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス (James Marshall Hendrix) |
| 生誕 | 1942年11月27日、米ワシントン州シアトル |
| 死没 | 1970年9月18日、イギリス・ロンドン (27歳没) |
| ルーツ | アフリカ系(父方)およびアメリカ先住民(チェロキー族の祖母)の血を引くブラック・インディアン |
| ジャンル | ロック、R&B、ブルース、サイケデリア |
| 活動期間 | 1963年〜1970年(メジャーデビュー後は約4年間) |
| 偉業 | ロック史上最高のギタリストとして多数回選出 |
彼の幼少期は、決して幸福な家庭環境に恵まれていたとは言えません。母親ルシールは彼が15歳の頃にアルコール中毒で亡くなり、両親の離婚後、ジミは弟レオンと共に親戚に預けられた時期もあります。実のところ、彼の本格的な音楽キャリアは、警察沙汰から始まっています。窃盗などの罪で逮捕された彼は、刑務所収監を逃れるために陸軍の第101空挺師団へ入隊。そこで後の盟友、ベーシストのビリー・コックスと出会い、軍隊内のクラブハウスで演奏を始めました。除隊後、彼はバックミュージシャンとして40以上のバンドに参加し、1966年に元アニマルズのチャス・チャンドラーにロンドンへ誘われ、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと共にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成し、瞬く間にスターへの道を歩み始めました。
2. Hey Joe
衝撃と決意のデビュー

ジミ・ヘンドリックスが世界に初めて衝撃を与えたのは、1966年12月にイギリスでリリースされたシングル「Hey Joe」です。この曲は全英で6位というヒットを記録し、彼のキャリアを確固たるものにしました。
“Hey Joe, where you goin’ with that gun in your hand…”
→「ヘイ・ジョー、その手に銃を持ってどこへ行くんだ…」
この曲は、浮気した恋人を銃殺して逃亡する男の物語を歌っています。初期のジミの演奏技術と、エフェクターを駆使したサウンドメイクが聴衆に衝撃を与えました。彼の演奏の基本はブルースやR&Bに根差しつつ、当時はまだ珍しかった強烈な歪みを伴うギターサウンドが特徴です。1969年1月、彼はイギリスのテレビ番組「ルル・ショー」に出演した際、司会のルルとのデュエット予定を無視し、解散したばかりのクリームに捧げるとして同曲を演奏したという逸話があります。渡英したばかりの彼を初めて見たエリック・クラプトンは、「誰もジミーのようにギターを弾くことはできない」と賞賛を送り、ジェフ・ベックは「廃業を考えた」と語っています。
3. Purple Haze
革命のファズサウンド

ジミの音作りの根幹には、常に「新しい音を模索したい」という野心的な姿勢がありました。1967年に発表された「Purple Haze(紫のけむり)」は、当時としては革新的だった強烈なファズサウンドと、後に「ジミヘンコード」と呼ばれる特徴的なコード、E7(#9)を世に知らしめました。
“Purple haze, all in my brain…”
→「紫のけむり、頭の中を覆う…」
E7(#9)コードはブルースやジャズで使用されていましたが、この曲での使用により、「サイケデリックな響きを持つコード」として有名になり、ミュージシャンたちの間では「ヘンドリックス・コード」や「ジミヘンコード」と呼ばれることがあります。多くの人がこの曲の歌詞をドラッグソングとして解釈しましたが、ジミ本人はこれを否定し、「あれは海底を歩いている夢を見たことから生まれた曲」だと反論しています。彼の音楽の根底にあるのは、既成のブルースやR&Bの枠に収まらない非凡な音の選び方やフレーズ展開でした。私は現場で、彼のサウンドを完璧に再現しようとして失敗したことがあります。彼のサウンドは「宇宙」と表現されるほどの幅広さを持っています。彼が主に使用していたエフェクターは、ファズ(Dallas Arbiter「Fuzz Face」)、ワウペダル(Vox「846 Wah」など)、ユニヴァイブというシンプルなセットでした。私は最新のマルチエフェクターに頼った結果、その生々しい音のうねりを再現できませんでした。彼は、ファズの歪み加減をギター側のボリューム調整で、ワウペダルは強調する音域を緻密にコントロールしていたのです。結局、彼の手首のスナップを使った逆アングル・ピッキングと、音に対する執着に根ざしたその場での緻密なコントロール、すなわち彼の魂はコピーできないのだと痛感しました。
4. Foxey Lady & Red House
魅惑とブルースの深層

ジミ・ヘンドリックスのステージは、単なる演奏会ではなく、一つの壮大な演劇でした。彼のギターテクニックが「神」の領域に達していたとしても、その裏側には、人種やルーツに関する複雑な葛藤も隠されていました。
「Foxey Lady」は、ファーストアルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に収録されており、魅惑的な女性への熱烈なアプローチを歌ったロックナンバーです。彼のトレードマークとも言える大胆なステージングと、セクシーなリフが相まって若者を熱狂させました。彼は背面弾き、歯弾き、ギターやアンプの破壊、ギターを挟んだ脚でのアーミングなど、ステージ上でその暴れん坊ぶりを大いに発揮しました。またファッションも重要で、日本の着物にヒントを得たようなゆったりとした衣装やミリタリーファッション、アフロヘア(エレクトリック・ヘア)を採り入れ、60年代のミュージシャンファッションとして広く認知されています。1967年6月の『モンタレー・ポップ・フェスティバル』では、ギターを歯弾きし、最後にライターのオイルでストラトキャスターに火を放ち、破壊しました。このパフォーマンスを見て、私は「ジミが火をつけたのはギターだけじゃなかった」というコピーを思いつき、彼が既存の音楽シーン全体に火をつけ、その概念を永久に変えてしまった衝撃を表現しました。
「Red House」は、彼の演奏の基本がブルースやR&Bに根差していたことを象徴する曲です。この曲はアドリブが曲の大部分を占める構成で、彼はライブごとに全く異なる非凡なインプロヴィゼーション能力を発揮しました。彼のギターは、メロディを歌っているのではなく、ギターそのものを叫ばせたり、歌わせているような感覚、まさに「魂の叫び」だと感じます。彼は黒人でありながら、白人向けのロックスターとして売り出されました。このため、公民権運動に取り組む一部の黒人層からは「白人と組んでいる裏切り者」と見なされることもあり、彼は同胞である黒人層に受け入れられないことに悩んでいたという証言があります(ビリー・コックスの談話)。彼はシャイで礼儀正しい人物だったという証言も多く、世間の「ワイルドマン」というイメージとは裏腹の繊細さを持っていました。彼のステージアクションは、観客がそればかりを求め、演奏に集中できないことに悩む一因ともなったのです。
5. 技術と遺産
4年の活動が残した衝撃

ジミの技術的な偉業は、単なる速弾きや正確さにとどまりません。彼の存在は、同時代のギタリストたちに途方もない衝撃を与えました。彼は主に、右利き用のフェンダー・ストラトキャスターの弦を左利き用に張り替えて演奏しました。このセッティング(リバースヘッド)によって、他のギタリストの手からは放つことのできない独自のトーンが得られたのです。さらに、コントロールノブが上側に来るため、演奏中に左手でボリュームやトーンを自在に操り、音色を大きく変化させるという独特の奏法を生み出しました。ストラトキャスターは当時生産中止の噂もあったほどでしたが、ヘンドリックスが使用したことで人気が一気に上昇しました。
彼のプレイスタイルは、型破りなアクションが取り上げられることが多いものの、基本はブルースやR&Bに根差し、これにジャズのコードやスケールを加えた画期的なものでした。彼は常に新しいサウンドを模索し、エフェクターの設計者ですら想定していなかった斬新な音を引き出していたのです。メジャーデビュー後、マネージャーのマイケル・ジェフリーが勝手に契約したことで、一時期モンキーズの全米ツアーのオープニングアクトを務めたことがあります。しかし、モンキーズの客層(アイドルファン)と、彼の激しいロック・ブルースはまったくかみ合わず、客席で冷めた反応を受け、ごく短期間で降板しています。これは、どんな天才であれ、適切な「場」と「タイミング」がなければ、その才能が理解されないこともあるという教訓を示しています。
2023年に発売された『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル 1967』に収録された音源は、それまで1秒たりとも公開されていなかったものでした。ラジオ局のスタッフがイベントのオーディオ周りを手伝った際にこっそり録音したテープが時を経て発見されたらしい。この事実は、当時の誰もが彼の「すごいパフォーマンスは記録しておかなきゃダメだ!」という、使命感に駆られていた証拠だと言えるでしょう。
6. 炎のように燃え尽きたが
消えない音

ジミ・ヘンドリックスは、わずか27歳での急逝(27クラブの代表格)により、メジャーでの活動期間はわずか4年ほどしかありませんでした。死亡原因は、睡眠薬と酒の併用による窒息死とされています。しかし、彼が遺した楽曲や哲学、そしてエレキギターという楽器にもたらした革新は、永久にロック史にその名を刻んでいます。
“私達は自分達の音が聴く人の心に触れて、それによって何かを呼び覚ますことができると信じている”
私たちは、彼の音楽をただの「過去の遺産」として片付けてしまうのではなく、彼が生きた時代の背景や、彼が表現しようとした魂の叫びを深く感じ取る必要があります。マイルス・デイヴィスがヘンドリックスとの共演を熱望し、ギル・エヴァンスが彼の曲を演奏し続けたように、彼の革新性はジャンルを超えて評価されています。だからこそ、今こそ彼のサウンドに改めて向き合い、あなたが次に奏でる音に、彼の革新の精神を注入してみませんか。音楽の世界は、あなたが深く掘り下げれば掘り下げるほど、本当に楽しく、深いものになるはずです。














