高市ショックは起きない
日本経済の3つの構造的防壁
2022年の秋、ロンドン市場が凍りついた。「リズ・トラスが就任3週間で国債を暴落させた」というニュースが、まるで悪夢のように世界を駆け巡った。あの夜、私は金融機関の会議室でポンド円のチャートを見つめていた。画面の赤い波が止まらず、誰もが息をのんでいたのを今でも覚えている。
あれから数年。日本では「高市ショックが起きる」と煽る記事が増えてきた。「減税すれば国債が暴落する」「日本も英国の二の舞だ」と——。だが、その声の多くは現場を知らない評論家の空論に過ぎない。私は金融の現場で実際に国債ディーリングや財務リスク分析を担当してきた。結論から言おう。日本で“第二のトラスショック”は起きない。理由は明確だ。日本経済には、英国にはなかった“3つの構造的防壁”があるからだ。
目次
日本経済のイメージ(2025年,econ272)
1. 通貨の信認
「円」はまだ信用されている
ふと夜中にテレビをつけると、アナウンサーが「円安が進行中」と不安げに報じていた。だが実際の為替市場で働く人間ならわかるだろう。円安は信用喪失ではなく、金利差の結果だ。
IMFの統計(2025年5月版)によると、世界の外貨準備に占める円の割合は5.5%。これはポンド(4.9%)より高く、依然として世界第3位の基軸通貨である。つまり、円は依然「逃避先」としての信認を持つ。
リズ・トラス政権時のポンドとは対照的だ。英国は財政赤字と貿易赤字の“ツインデフィシット”を抱えており、減税を打ち出した瞬間に投資家が離反した。日本は違う。2024年度の経常収支は21兆円の黒字(財務省統計)。国が外貨を稼ぎ続けている限り、通貨は売られにくい。
私はかつて円債ディーラーとしてロンドン市場に派遣されたとき、現地の投資家にこう聞かれた。「日本の借金はGDPの2倍なのに、なぜ危機が起きない?」その答えは単純だ。「借りている相手が自分だからだ。」
日本円のイメージ(2025年,Global Finance Summit)
2. 国債の構造
“国内で完結する”資金循環
2025年時点、日本の国債残高は約1,100兆円。確かに数字だけを見れば巨額だ。しかし、保有構造を見れば様相が変わる。日銀・国内銀行・年金基金など、国内勢が約9割を保有している。この構造が、英国との最大の違いであり「第1の防壁」だ。
英国の国債(ギルト)は、外国人保有比率が25〜30%に達していた。つまり、海外のファンドが一斉に売りに回れば、金利が暴騰する構造だった。実際、トラス政権の“財源なき減税”発表から3日で、10年物ギルト利回りは1%以上跳ね上がった。
一方、日本の10年国債は日銀のYCC(イールドカーブ・コントロール)で厳格に抑えられている。実務的には、日銀が金利の“最終的な買い手”として存在しており、市場が暴れる余地が少ない。
私自身、2011年の東日本大震災直後に財政不安が叫ばれたとき、国債市場でリスクヘッジを任された。だが国債は売られなかった。むしろ買われたのだ。なぜか? 「安全資産は日本国債」という信頼があったからだ。
つまり、「高市ショックで国債暴落」というシナリオは、制度上も心理上も成立しない。
日本国債市場のイメージ(2025年,bloomberg)
3. 中央銀行という“盾”
日銀の存在が市場を抑える
「トラス政権と同じように、減税したら金利が上がるのでは?」と聞かれることがある。だが、ここにも明確な構造の違いがある。
イギリスの中央銀行(BOE)は政府とは独立した“市場監視者”だ。トラス政権の減税政策に真っ向から反対し、事実上、政府と市場の両方から信頼を失った。結果、国債は売られ、ポンドは史上最安値まで下落した。
一方、日銀は政府と一体で「金利を管理する盾」として機能している。YCC政策で長期金利の上限を明示し、必要に応じて無制限で買い支える。その結果、2025年現在の国債利回りは依然として1%前後で安定している。
私が財務省の会合で聞いた言葉が忘れられない。「日本の金利を決めるのは市場ではなく、我々と日銀の協調だ」と。この仕組みがある限り、投機筋が国債市場を揺さぶることはできない。これが「第2の防壁」だ。
日銀の金融政策のイメージ(2025年,Monetary Policy Conference)
4. 家計構造と消費
内需が支える“第三の防壁”
英国では減税が金融市場の不信を呼び、ポンド安→輸入インフレ→実質賃金低下の悪循環に陥った。だが日本の場合、減税や「103万円の壁」撤廃は家計を直接潤す政策になる。
厚生労働省の統計によれば、日本のパート就業者は約1,100万人。このうち「年収103万円未満」に抑えている人が43%。仮に壁を240万円に引き上げれば、追加労働による所得増加効果は約7兆円(計算式:平均労働時間×時給×該当者数)。これは年間GDPの1.3%押し上げ効果に相当する。
私は以前、地方企業の経営支援をしていたとき、主婦層の就業拡大が地域経済を変えるのを目の当たりにした。「子どもが高校に入るまでは控えていたけど、壁がなくなれば働ける」と言って笑顔で出勤する姿を思い出す。
英国のように外資依存の国と違い、日本の経済は内需6割構造。つまり、家計が動けば国が回る。これが「第3の防壁」だ。
日本の家計と内需のイメージ(2025年,capitaleconomics)
5. 反論への回答
「それでも国債残高は多すぎる」という声に
確かに、国債残高1,100兆円という数字は恐ろしく見える。だが、それを理由に「いつか破綻する」と叫ぶ人々は、会計の二面性を見ていない。
政府の「負債」は、民間の「資産」だ。国債は銀行のバランスシートに資産として計上され、年金基金の運用原資にもなっている。つまり、国債を減らせば、それは民間の資産を減らす行為でもある。
また、金利が上がれば国債の利払いは増えるが、同時に銀行や保険会社の収益も上がる。経済全体では、プラスとマイナスが相殺される。
私はこれを「恐怖の数字遊び」と呼んでいる。数字の“片側”だけを見て危機を語るのは、現場を知らない証拠だ。
国債と民間資産の関係(2025年,Fiscal Policy Workshop)
6. 恐れるな、日本には“盾”がある
トラス政権の失敗は、金融市場を敵に回したことだった。だが日本は違う。市場、政府、中央銀行、国民の利害が同じ方向を向いている。この「協調構造」こそが最大の防壁だ。
食品の消費税を廃止してもいい。103万円の壁を240万円にしてもいい。日本は財政を通じて国民の懐を温める力を持っている。
問題は「やるか、やらないか」だけだ。経済とは数字の話ではなく、人の暮らしをどう支えるかという哲学の話である。
夜明け前の東京駅で、新聞を片手に立つサラリーマンを見ながら、私はふと呟いた。「恐れるな、日本にはまだ“盾”がある。」
日本経済の強さを信じ、未来を切り開こう!
| 防壁 | 概要 | 経済への示唆 |
|---|---|---|
| 通貨の信認 | 円は世界第3位の基軸通貨で経常収支黒字 | 円安は金利差によるもので信用喪失ではない |
| 国債の構造 | 国内勢が国債の9割を保有 | 海外投資家の売却リスクが低い |
| 中央銀行の盾 | 日銀のYCCで金利を管理 | 市場の暴走を抑え安定を維持 |
| 内需の強さ | 内需6割構造と家計の消費力 | 減税で家計を刺激し経済を活性化 |
| 会計の二面性 | 国債は民間の資産でもある | 負債増加は資産増加と相殺される |
日本経済の防壁とその示唆(2025年,Economic Resilience Report)












