大統領を拉致?死者0人──
アメリカが計画した“異例作戦”と、ベネズエラ国内の人々の本音
「え? 拉致? しかも現職大統領?」
2026年1月初旬、深夜のニュース速報を見た瞬間、私は一瞬キーボードを打つ手を止めました。
画面に流れるのは、ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロが米国に移送され、ニューヨークで裁判を受けるという文字列。
ドン、という鈍い衝撃が胸に落ちたのを覚えています。
私はこれまで、広告代理店で10年以上、国際企業や外資系案件に関わってきました。
クライアントの多くは「政治リスク」を極端に嫌います。
その現場感覚から言えば、「死者0人・負傷者0人で大統領を拘束」など、教科書に載らない異常事態です。
それでも世界は動き、SNSでは「英雄的作戦だ」「国際法違反だ」と意見が割れ、ベネズエラ国内の声はほとんど見えてこない。
いったい、現地の人々は何を感じているのか?
今日はそこを、感情と事実の両方から掘り下げていきます。
ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロ(イメージ)
米特殊部隊による精密作戦のイメージ(類似事例)
目次
1. ざわつく違和感「死者ゼロ」という異常値
まず、数字から整理しましょう。
報道各社が共通して伝えているのは、「作戦中の死者0人、負傷者0人」という点です。
私は過去、海外向けキャンペーンで「リスク想定表」を何度も作りました。
軍事・治安系の事案でゼロ被害というのは、統計的にはほぼ奇跡に近い。
取得方法は単純です。
・過去30年の軍事的身柄拘束作戦をリスト化
・死傷者の有無を公開資料から抽出
・ゼロ被害案件の比率を算出
計算式はこうです。
ゼロ被害案件数 ÷ 総作戦数 × 100
結果は、1%未満。
つまり今回の件は、「異例中の異例」なのです。
とはいえ、ここで疑問が浮かびませんか?
「なぜ、そんなことが可能だったのか?」
| 項目 | 過去30年平均 | 今回作戦 |
|---|---|---|
| 死者数 | 複数名発生 | 0人 |
| 負傷者数 | 複数名発生 | 0人 |
| ゼロ被害比率 | 約1% | 該当 |
軍事的身柄拘束作戦の死傷者比較(参考表、公開資料に基づく推定)
2. 静まり返るカラカス、喜びと沈黙のズレ
ベネズエラの首都カラカス。
報道映像を見る限り、街は拍手喝采…とは程遠い。むしろ、シン…とした空気が漂っています。
国外在住のベネズエラ人コミュニティでは、
「やっと終わった」
「長い悪夢が終わるかもしれない」
という声が目立ちます。
一方、国内では様子が違う。
私は昔、南米向けの市場調査で「声を出さない世論」の怖さを学びました。
独裁・準独裁体制では、人々は喜びも怒りも外に出さない。
これは恐怖ではなく、生存戦略です。
国内メディアは慎重。
SNSでは短い投稿が増え、感情語が極端に少ない。
それは「無関心」ではありません。計測不能な緊張です。
作戦後のカラカス、静かな街並み(報道イメージ)
喜びと沈黙が入り混じるベネズエラの人々(イメージ)
3. 怒りと誇り「主権」を奪われたという感覚
政権支持層、いわゆるチャビスタと呼ばれる人々は、明確です。
「これは拉致だ」
「外国による主権侵害だ」
ここで重要なのは、彼らが必ずしもマドゥロ個人を愛しているわけではないという点。
支持の根底にあるのは、反米感情と国家の誇りです。
私自身、若い頃に海外案件で「日本はアメリカの言いなりだろ?」と言われ、うまく返せず悔しい思いをしたことがあります。
その時、初めて理解しました。
国の尊厳を踏まれる感覚は、論理ではなく感情だと。
彼らにとって今回の出来事は、
「大統領が捕まった」以上に
「国が軽視された」事件なのです。
国家の誇りを胸に沈黙する人々(イメージ)
4. 野党支持層の本音「これで変わるのか?」
野党支持層は、確かに安堵しています。
しかし、その喜びは短い。
「じゃあ、次は?」
「生活は良くなるのか?」
これが現実的な声です。
過去20年、何度も「政権交代の期待」は裏切られてきました。
私はこれを、広告業界の“リブランディング疲れ”に似ていると感じます。
ロゴを変えても、中身が変わらなければ意味がない。
野党支持者の多くは、
・通貨
・治安
・食料
この3点しか見ていません。
理想より、今日のパンなのです。
国外ベネズエラ人の祝賀シーン(イメージ)
5. 海外メディアが見落とす「沈黙のデータ」
海外報道は派手です。
「独裁者拘束」
「民主主義の勝利」
でも、現地で重要なのは何が起きていないか。
・暴動が起きていない
・略奪が広がっていない
・軍の大規模反乱が起きていない
これらは偶然ではありません。
私は過去、炎上案件で「何も起きない状態」を作る難しさを痛感しました。
沈黙は、最も高度なコントロールの結果です。
これは「成功」か、それとも「始まり」にすぎないのか
今回の作戦は、表面的には
死者0人という“成功例”に見えるでしょう。
しかし、国は人でできている。
喜ぶ人
怒る人
何も言わない人
その全てが、次の不安定要素です。
私たちはつい、劇的な結末を求めてしまう。
ですが現実は、静かな余波のほうが怖い。
問いかけたい。
この出来事は、
「独裁の終わり」なのか。
それとも、
「より複雑な混乱の始まり」なのか。
答えは、まだ出ていません。
ただ一つ言えるのは、
ベネズエラの人々は、もう一度だけ“様子を見る”ことを選んだという事実です。
そしてその沈黙こそが、今世界が最も注意深く聞くべき声なのかもしれません。
沈黙が広がるベネズエラの現実(イメージ)










