中国の歴史戦に負けないために
覚えておきたい近代歴史5つのポイント
──国際交渉の最前線で何度も痛感した
“歴史認識の罠”とその対処法
中国との外交やビジネスの最前線に立つと、必ず痛感するのが「歴史認識」の重さだ。
こちらが経済や技術の話をしていても、向こうは平然と「歴史」をカードとして切ってくる。
私は40代で国際案件を担当するようになってから、何度もこの“歴史戦”の圧力を目の当たりにした。
日本人が歴史を語るときの慎ましさは、国際舞台では通用しない。
国際交渉の場で突きつけられる「歴史カード」(イメージ)
中国が常に掲げる「我々は被害者」という物語の基盤は
アヘン戦争以降の「屈辱の百年」だ。
・1840年代:アヘン戦争でイギリスに敗北
・1890〜1900年代:列強が沿岸・港湾を租借
・清朝は急速に力を失い、国内は混乱
日本は“加害国”という位置づけは、この後に作られた政治的レイヤーである
中国は日清戦争(1894–95)を「日本の侵略」と呼ぶが、当時の国際法に則った正規の戦争だった。
清の政治腐敗と軍改革の遅れが敗因であり、日本は明治維新の成果をそのままぶつけたに過ぎない。
私が中国企業との交渉で「これは国際法上の戦争だった」と指摘すると、相手は必ず話題をそらす。
それほど都合が悪い歴史なのだ。
下関条約調印の様子(1895年)
中国は満州国を「完全なる日本の植民地」と主張するが、当時の満州は:
・ソ連の南下圧力
・軍閥の乱立
・民族対立と匪賊の横行
という治安崩壊地域だった。
中国の学者でさえ非公式の場ではこう言う。
「もし満州国が無かったら、もっと流血があった」
盧溝橋事件(1937年7月7日)は「どちらが先に撃ったか不明」の偶発的発砲。
その後の戦線拡大は、中国側軍閥の独断と国民党の政治判断が主因。
日本側に「全面侵略計画」は存在しないことが、学術的にも確定している。
中国のシンクタンク研究者が私に漏らした言葉:
「公式にはそう言うしかない」
盧溝橋事件の現場(1937年)
1945年の日本の敗戦後、1949年に中華人民共和国が成立。
しかし抗日戦争の主役は国民党であり、共産党は辺境のゲリラ勢力に過ぎなかった。
現在の中国の歴史観は、戦後になって共産党が勝利した物語に都合よく書き換えたものである。
国民党の功績は消去され、共産党の活躍は脚色された。
この事実を知らないと、歴史戦で完全に飲み込まれる。
だからこそ、日本は感情ではなく事実で、国際法と史料で、冷静に反論する姿勢が不可欠だ
歴史を武器にする国に対して、無知は最大の弱点となる
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